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 必読 日替わりメモ

ヒコーキ雲に対するご意見、必読日替わりメモのご感想や質問回答をメール( sa@axisz.jp 冒頭にkをつける)でお寄せください。

勝手なお願い : インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の更新作業は早朝半眠状態の時に行うことが多くミス多発です。気付いての修正がありますので数時間後にもう一度見ていただくようお願いします。 佐伯邦昭
 
日替わりメモ20100313番

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N723

ニュースフラッシュ 2010/03/11 祝!《前途多難の?》茨城空港開港

○ !?
 という記号を付けざるを得ない茨城空港のオープンです。前日の天気とは打って変った快晴の空に、開港1番機を迎えましたが、橋本知事たちは、満面の笑顔とは裏腹にこれから県民がかかえていく大きな借財と維持管理の赤字をどうするのか、腹の内は苦り切ったご心境でございましょう。しかし、作った以上は元の農地に返すことはできません。航空自衛隊の拡張など如何ですかな。羽田と成田の規模を縮小しない限りは、首都圏第三空港として民間利用の可能性は限りなくゼロに近いのですから。

 開港日の写真を見ていて個人的に思ったのは、定番の飛行場開きのテープカットがないこと、空港建設に尽力したであろう梶山静六さんの息子の代議士と中村喜四郎代議士と額賀代議士の姿が見えないことです。ただ写っていないだけのことかもしれませんが、常に正面に出たがる(影の建設功労者の)先生方が見えないというのも茨城空港を象徴しているような‥。君子危うきに近寄らずか。

 

日替わりメモ20100312番

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N722

ニュースフラッシュ 2010/03/10 まだボーイング707が! ルーマニア大統領特別機
Various Fujiyama Pictures
From the skyscraper in Nishi-Shinjuku 
NEW from Tokyou Opela City
Various Fujiyama Pictures
NEW Too early spring haze  

○ まだボーイング707が! 

 と、思わず感嘆符を付けてしまいました。ルーマニア空軍所属とはいえ、まだVIPの旅客機タイプでセブンノーセブンが飛んでいるとは!!

 ハロースクエアさんもjetjyunさんも、仕事や茨城空港開港との掛け持ちで良質な写真が撮れなかったと悔んでいますが、同情します。エンジンはまだP&W JT3Dを付けているのでしょうか。黒煙を引いて上がっていく姿を見たかったですね。

○ 富士山空撮

 昨日の写真は、東京都庁の展望室からかと推定しましたが、東京オペラシティの53F/54Fのレストラン・展望フロア(高さ200メートル)からだろうというSIさんからのメールがありました。

 また、新たに2月25日のJAL沖縄便から写した早朝の富士山をアップしました。Too early spring haze(早すぎる春霞の直訳)なんぞと表題をつけました。沖縄第1便がまとも飛び立ったすぐ後に、深い霧が東京湾をすっぽりと覆い、空も海も昼ごろまで動けなくなってしまった日でした。 この写真で見ると、駿河湾も霧で覆われています。

 今週前半大荒れの天気も回復してきましたので、Real spring haze(本格的な春霞の直訳)ももう間もなくのようですね。

 

日替わりメモ20100311番

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various Fujiyama pictures From the skyscraper in Nishi-Shinjuku

○ 富士山空撮

 西新宿の高層ビルからなので空撮とは言えませんが、地上約240メートルからの富士山眺望は空撮に匹敵します。澄み切った大気の向こうに浮かぶ真っ白な姿は、1月というのに包み込むような暖かさを感じさせます。まさに霊峰富士です。

 眼下には新宿、世田谷から多摩川を越えて京王よみうりランドのタワーらしきものまで関東平野西部の町並みも一望です。 撮影者の確かな腕にも惚れ込みますね。 阿施光南さんのブログに載ったのを、お願いして借用しました。http://mach.air-nifty.com/kazetan/


○ 例によってあれこれ‥

 昨日の参院予算委員会で、マニフェスト達成率に失望する国民の声があるという指摘に対して、鳩山総理は「自公政権時代には、掲げた政策とのかい離を議論する空気もなかったが、いまは、国民の皆さんがそういうことに目を向けてくれるようになった、それも民主党政権になった大きな効果である」というような答弁をしていました。インターネット航空雑誌ヒコーキ雲も閲覧者の目線での指摘という意味で、同じことを思っています。

 ヒコーキの素人が1人で制作しているのですから、調査不足の誤りや、時間切れで勝手な憶測など皆さんの失笑を買っているのではないかという危惧を常に抱いています。上記の「地上約240メートル」や「京王よみうりランドのタワーらしきもの」だって憶測にすぎません。ですから、それは違うぞという指摘があれば、直ちに若しくは翌日の更新で正すことを鉄則としている訳です。

 今日も、厳しい指摘がきました。ありのままを載せさせて頂きます。ここでは匿名にしますが、ちゃんと名前を名乗ってのメールでありまして、念のため申し上げますが、名無しのゴンベエさんからのメールは原則として無視することにしています。

Sさんからメール

 いつも楽しく貴HPを拝見しております。さて標記について、以下の所が気になりました。

1.日替わりメモ20100310番  KV-104 → KV-107 佐伯から : お恥ずかしい間違い

2.日替わりメモ20100308番  Whitworce Whitworth  FARNBOROUDH FARNBOROUGH
 
 お恥ずかしい間違い

3. 日替わりメモ20100307
(1) 「T-33Aを高等練習機というにはあまりにも能力不足であり、富士T-1B過〔ママ〕程から移行する 新しい練習機が求められていたのは事実です。・・・すったもんだの末、T-2高等練習機の国産に落ち着いた・・・」
   T-1が退役するまで、空自のパイロット教育体系は、T-1T-33T-4)であり、T-1教育修了後、直接T-2教育へ移行したことはないはずです。
(2) 「ナット戦闘機は、マッハ1.5の速度が可能で」
   佐伯さんが添付されている世界航空機年鑑には「軽いダイブでマッハ1.15」と書かれていますが、マッハ1.5という数字は何を根拠にされているのでしょうか。お恥ずかしい間違い
(3) 「グロスター・アーゴシー」
   小生は広告を見たことがないので記述は佐伯様のおっしゃる通りなのでしょうが、正確には「ウィットワース・グロスター・アーゴシー」ではないでしょうか。
 佐伯から : 1963年の航空情報各号第二表紙の広告の機名表示は次のとおりです。
    5月号〜8月号  軍用輸送機の王者 ホイットワ‐ス グロスター ARGOSY
    9月号以降     軍用輸送機の王者 ホーカ― シドレー ARGOSY 

4.日替わりメモ20100306
  「林彪がソ連へ逃亡を図って撃墜されたのがトライデントでした。」
  ウィキペディアが根拠で申し訳ありませんが、それによると林彪搭乗機の墜落原因については、いろいろな説が書かれています。しかし戦闘機による撃墜説は書かれておらず、SAMによる撃墜説については、墜落現場と当時の中国のミサイルサイト位置があまりにも離れすぎているとしています(英語版)

5.思い出コーナー 3-10
(1) Comet 2
 G-AMAX   Corporetion Corporation お恥ずかしい間違い
(2)
デハビランド トライデントの売り込み      De Haviland De Havilland1ヶ所のみ) お恥ずかしい間違い

6.思い出コーナー 3-11  Whitworce Whitworth お恥ずかしい間違い
  ARMSTONG ARMSTRONG1ヶ所のみ) お恥ずかしい間違い
  ARGSY ARGOSY1ヶ所のみ) お恥ずかしい間違い
  WESTLAD WESTLAND1ヶ所のみ) お恥ずかしい間違い
  Sikorskiy Sikorsky お恥ずかしい間違い

 まことに汗顔の至り、かつ大変にありがたく天の声として拝聴しました。修正すべき箇所は大至急に手を打ちます。

 ついでと言ってはなんですが、昨日の取消部分の修正について、更に一か所修正し、かつ、その際に第二補給処からお聞きした興味深いお話しも次に付記しておきます。

・ 406号機の再々塗装について、銀塗装を継続するのは、岐阜の実験航空隊時代に使用していたメンター(51-0357、71-0420)の姿を継続したいという希望によるものです。また、静浜のオレンジ塗装をIRAN時と書きましたが、防府北と同じく基地整備隊によるものでした。両基地とも富士重工のIRANから銀塗装で戻ってき たものにオレンジを施したものです。 

・  付随して、防府北基地にかって展示されていた61-0398が蛍光オレンジでなく、赤に塗られているのは参照、T-3をイメージしたものであり、フォーメーション飛行の際に活用されていました。その#398の展示撤去後に置かれたT-3 81-5506はT-3の中で最初に用廃になり、地上でイメージトレーニングに使われていました。

・  現在、高い架台の上にあるT-34A#309もメンターの中で最初に用廃になったものですが、現役時代にはT-34Aの地上安全TO(テクニカルオーダー)1-1-309と番号が同じなので、関係隊員の記憶に長く残っているそうです。

 

 もうひとつ、当方からの囲いと立札の提案については、早速賛成の意見も寄せられました。1件だけ紹介しします。これを強硬過ぎると見るか当然と見るかは皆さんの自由です。

 怪我に管理者が責任を持たないのは当然である。最近の親は幼児の手もつながず、危ないと声をかけるだけ。幼児に危ないということがわかるはずはない。手を繋げないのならハーネスとリードをつけるべきだ。外国ではよく見かける光景。日本では犬みたいと嫌がる親が多いようだが、見かけと子供の命のどっちをとるのかといいたい。そんな親が子供がちょろちょろして、頭をぶつけて泣こうものなら、すぐ管理責任を言い出す。

 我が家では、子どもの事故防止のためハーネスとリードを使用していた。日本製のものがなく、フランス製のハーネスを購入した。

 自分のことは自分で守る、自分の子供は自分で守るのは生きていくうえの最低限の安全策ではないか。自国の防衛も米国まかせで、そのくせ基地反対。戦争に負けて沖縄をただで返してもらえるはずはない。

 ドイツでは戦争で取られた領土は戦争で取り返すしかないと言う考えが常識だそうだ。今頃密約を暴いてなんになるのか疑問である。国家間で密約があるのは当然ではないか。密約があっても何十年たてば公開する米国のような手もある。

 現に昭和16年春の米国のレポートに日本が真珠湾を攻撃する可能性についての公文書が公開されている。

 

日替わりメモ20100310番

本日のページ更新

A1023
A8310
航空史探検博物館 川崎バートルKV-104の現役時代の写真を追加
 北海道 美幌駐屯地 川崎バートルKV-107 初号機 51701
 長崎県 相浦駐屯地 川崎バートルKV-107 5号機 51705

○ 川崎バートルKV-107の現役時代の写真を追加

 初号機と5号機の現役時代の写真は、バートルが最も華やかな時代というか、胴体後部に#701が白の1本線(第1ヘリコプター隊第1フライト)、#705が2本線(同第2フライト)を入れ、ナンバーも白色で、各機体の個性がはっきりと分かるものでした。

 美幌と相浦に展示されている姿は、後期の迷彩塗装で、もちろん白のラインは消え、文字も小さく黒くなって没個性の状態です。軍事的にはやむを得ないこととあきらめるしかないですね。

 話しがえらく飛びますが、日本社会党のオバサンが普天間の移転先に相浦を考えているとかいないとか、相浦は陸自の中でも強襲というような特殊な任務ですから、米海兵隊と相性がいいというお考えなのでしょうか。


○ 昨日の取消部分の修正 (続 岐阜基地 1993年の常設展示機写真を追加)

 406号機 の再々塗装について、第二補給処渉外室に電話で尋ねたところ次のような事情が分かりました。取消部分の勝手な憶測をお詫びします。

・ 現行の銀色塗装及びAPGマークは、5年前に富士T-7受領式にあたって飛行開発実験団の修理班が塗ったもので、その時から機首の406は太すぎるのものであった。

・ 再々塗装は、現在、下処理が終わっており、近く塗装に入るが、やはり航空開発実験集団の希望が強いので銀色とし、APGマークを書き入れことになっている。

・ T-34Aのオレンジ塗装の経緯
@ 1971/07/30雫石事故の後で、空自練習機の視認性を高めるために胴体上半分、胴体下面、主翼端、垂直尾翼上端に蛍光オレンジ色を塗ることになった。
A 11飛行教育団(静浜)は銀色の上に直接塗り、12飛行教育団(防府北)は発色を良くするために白で下地を塗ってからオレンジを塗った。
B 13飛行教育団(芦屋)でも、T-1を全面ホワイトからオレンジレッド塗装に替えた。

・ 展示機で銀色とオレンジ色の二通りがあるのは、各基地救難隊へ渡された時期によるもので、救難隊自体の塗装をしていない。

 

 あわせて第二補給処から、次のお願いがありました。

岐阜基地からのお願い

 406号機の再々塗装に当っては、外板のへこみや曲りを修理しなければなりません。へこみは子ども達がジャングルジムのようにして遊んだために起きているので、大切な展示機を傷めることがないように、保護者には注意して頂くようにお願いします。 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲でもPRしてください。

佐伯からも : 飛行機を傷めないこと以上に、子どもたちが怪我をしないように保護者はしっかりと監督する必要があります。昔の子どもと違って、 今どきは過保護でひ弱に育っている子が多いので、怪我をする率は高いでしょうから。 しかも、我が子と自分の過失は棚にあげて管理者責任を問う馬鹿親があふれているので、各機体には柵をめぐらして、次のような頑丈な立札を立てておきなさい。ここまでしなければならない悲しい世の中になったのです。 

立入禁止

柵の中で怪我をしても、基地は責任を負いません。
機体などを壊されたときには、損害賠償を請求します。

 

日替わりメモ20100309番

本日のページ更新

A4401 航空史探検博物館 岐阜県 航空自衛隊岐阜基地 1993年の常設展示機写真を追加

○ 岐阜基地 1993年の常設展示機写真を追加

 「岐阜基地のビーチクラフトT-34A 61-0406に囲いが設けられたそうで、再塗装の模様」と書きましたら(20100303番)、O.C.Cさんから17年前の常設展示機の写真が送られてきました。他の機体は今と変化はないのですが、T-34Aは2機置かれており、その写真を見た考証派マニアの悪い癖が出 ました。

オレンジ塗装の61-0406 尾翼はノーマーク (1993年撮影) 今の塗装 (2004年撮影) 尾翼マークはAPG

 まず、406号機はオレンジで、尾翼はノーマークだったのですね。 それがT-X受領式の時に全体銀色で実験航空隊マークに替えられました。
 上面オレンジの塗装は、第11飛行教育団から新潟救難隊 へ移った時に赤から塗り替えられたものではないかと想像しますが、違いますかね。そうだとすれば、新潟時代のエンブレムも調べて、上面オレンジ (救難カラー、静浜や防府南の展示機に例がある)に戻し、太すぎる406の書体も正しくして頂きたい ものです。岐阜基地司令殿お願いします。  9:30取消 理由は明日の日替わりメモへ

 次に、328号機の尾翼の数字 です。
 航空自衛隊のT-34Aの4桁シリアル番号は、0***であって1328という番号の存在はありません。 経歴によりますと 一時兵庫県の中学校に貸与されており、そのあたりで、専門外の人が数字を描いたのかもしれません。3の書体など も怪しいね。
 もっとも、機体は既に処分されており、写真が考証派マニアの餌食になっているだけなので岐阜基地司令殿ご安心ください。

 (2機の経歴は一部下郷松郎さんの調査によります)

 

日替わりメモ20100308番

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N721 ニュースフラッシュ 2010/02/28 後藤勇吉飛行士慰霊祭
OM3-11 思い出コーナー  Armstrong WhitworthとWestlandの販促写真

○ 後藤勇吉飛行士慰霊祭

 「私は単なる飛行機マニアでしかありませんが、毎年、それも年に2回も行事が行われることが非常に嬉しい気持ちでいっぱいです」とharbyさんが書いてきました。同感ですね。宮崎の後藤勇吉飛行士にしろ、22日に顕彰行事が行われる日野熊蔵大尉にしろ、九州の方々の熱い思いはうらやましい限りです。
     日替わりメモ20100218番 及び A8609参照

○ 続々々 販促写真

 harbyさんからも、死蔵するには惜しいイギリスの販促写真が送られてきました。その中のウエストランド S-51については、警備隊と東北電力が買っているので、一応日本への売り込みが成功したとみるべきですか。

 驚くのは、世界初のVTOL旅客機ロートダインを「後に大型化する」との説明で売り込んでいます。参考に1962年版世界航空機年鑑の寺川透さんの解説を付けておきましたが、「実用には相当の時日が必要だろう」と 結んであるものの、2基の推進ジェットエンジンと、ローター先端の4個のジェットエンジンが放つ猛烈な騒音と不経済性は如何ともしがたく、その1962年に政府の援助を打ち切られて挫折してしまいました。ファンボロ―でのデモ飛行を CDでみると、音が聞こえない分、なかなか面白い飛行ぶりではあるのですがね。
 (お願い FARNBOROUGH THE GLORIOUS YEARSのCDを送ってくださった方、整理が悪くてお名前が分からなくなりました。メールして頂くようお願いします。)


 
なお、佐伯の手元にあるCORNES & CO.,LTD販促写真は、日本航空協会航空遺産継承基金へ寄贈することにしました。プロが撮影した写真ですから、それだけでも値打ちがありますし、最近の電子化写真の氾濫の中で、プロの紙焼き写真は貴重品になりつつあるのだそうです。


○ 佐賀空港のYS-11について

 熊本県人吉のの日野熊蔵大尉顕彰行事(22日)に参加がてら、再整備されて公開される佐賀空港のYS-11を見たいものと佐賀県へ尋ねましたら、 交通政策部空港・交通課から次の回答を頂きました。お忙しい中ありがとうございました。 A8201関連

佐伯 邦昭 様

 有明佐賀空港に展示しておりますYS−11の情報を日頃より発信いただき深く感謝しております。

 現在、YS−11は、3月28日の一般公開へ向けて、塗装及び展示場の整備を行っております。佐伯様が見学をご希望されている21日は、悪天候による塗装作業の遅れから、足場と飛散防止のための幕が設置されたままとなっており、機体全体の撮影は難しい状況です。

 この状況でも撮影をご希望であれば、喜んでご案内させていただきますので、是非、ご検討ください。

 なお、3月28日の一般公開再開初日は、YS−11の一般公開をはじめ、ANAの子ども制服撮影会、化学消防車の展示などのイベントを行います。また、旅客ターミナルビル内には、YS−11に関する写真パネル、資料等を展示する予定です。今後とも有明佐賀空港をよろしくお願いいたします。 

有明佐賀空港HP(YS−11一般公開イベント)
 http://www.pref.saga.lg.jp/at-contents/kuko/shisetsu/park/YS-11.html

 管理・施設担当  古賀昭博 TEL:0952−25−7182 内線1446  FAX:0952−25−7318

 できれば、内部をとお願いしていたのですが、ちょっと無理なようです。実は、佐賀市内の馬場板金にある鉄製の零戦実物大模型をあわせてというのが旅行の大きな目的だったのですが、これは、青森の三沢航空科学博物館へ送られたとのことで、 佐賀へ行くべきかどうか迷いがでてきました。どうしましょう。

 

日替わりメモ20100307番

本日のページ更新

OM3-10 思い出コーナー CORNES & CO.,LTDの販促写真
1 デハビランド コメットの売り込み 
2 デハビランド  トライデントの売り込み
 3 フォーランド ナット練習機の売り込み

○ 続々 CORNES & CO.,LTDの販促写真

 更に、死蔵するには惜しいCORNES & CO.,LTD販促写真のナット練習機を発表しました。 ただ、出版社へ持ち込まれたとはいえ、果たしてナットを本気で日本に売り込んでいたのかどうか、つまり販促写真 というカテゴリーに入るのかは少し疑問が残ります。防衛庁がFolland Gnatを航空自衛隊練習機として検討したというニュースの記憶がないからです。

 超音速ジェット戦闘機時代に入って、T-33Aを高等練習機というにはあまりにも能力不足であり、富士T-1B過程から移行する新しい練習機が求められていたのは事実です。防衛庁内にはノースロップT-38タロンの輸入を推す声が強かったようですが、すったもんだの末、T-2高等練習機の国産に落ち着いた経緯があります。

 ナット練習機は、マッハ1.15の速度が可能で、機銃は30ミリを搭載し、ミサイルも携行可能、空中受油装置も備えるという練習機で、その原型であるナット戦闘機は、インドで国産されてパキスタンのノースアメリカンF-86を撃墜するなど軽戦闘機の名機でした。その練習機型ですからT-38と比較検討されてもいいように思いますが、空自には複座のF-104DJもあり、敢えてイギリス機をという空気はなかったのでしょう。

 1963年の航空情報の広告ページを見てみましょう。
航空情報1963年2月号 Northrop社がT-38、F-5A/Bを2ページ見開きで宣伝
航空情報1963年3月号 Northrop社がT-38、F-5A/Bを2ページ見開きで宣伝
               Cornes商会がTRIDENTを1ページ広告
航空情報1963年4月号 Northrop社がT-38、F-5A/Bを2ページ見開きで宣伝
航空情報1963年5月号 Cornes商会がTRIDENTを1ページ広告
航空情報1963年6月号 Northrop社が非常警報装置を1ページ広告
               Cornes商会がTRIDENTを1ページ広告
航空情報1963年7月号 Northrop社がT-38、F-5A/Bを2ページ見開きで宣伝
               Cornes商会がTRIDENTを1ページ広告
航空情報1963年7月号 Northrop社がT-38、F-5A/Bを1ページ広告
               Cornes商会がTRIDENTを1ページ広告
航空情報1963年8月号 Hawker Siddeley社がナット練習機を1ページ広告
               Northrop社がT-38、F-5A/Bを1ページ広告
               Cornes商会がTRIDENTを1ページ広告
航空情報1963年9月号 Northrop社がT-38、F-5A/Bを2ページ見開きで宣伝
               Cornes商会がTRIDENTを1ページ広告
航空情報1963年10月号 Cornes商会がTRIDENTを1ページ広告
航空情報1963年11月号 Cornes商会がTRIDENTを1ページ広告
航空情報1963年12月号 Hawker Siddeley社がナット練習機を1ページ広告
               Cornes商会がTRIDENTを1ページ広告
航空情報1964年1月号 Northrop社がT-38を2ページ見開きで宣伝

てな具合で、各社の思惑や酣燈社営業の手腕などがからみあっているのでしょうが、T-38の方が優勢です。しかし、T-38ナットもTRIDENTもすべて不発に終わってしまいました。しかもHawker Siddeley社は毎月第二表紙にグロスター アーゴシー輸送機の広告をのせているのに、これも不発で気の毒と言うほかありません。面白がってはいけませんが、この年は、ボーング727、シュド カラベル、ダグラスDC-9、BAC111やYS-11の広告もあり、各社しのぎを削っての売り込み合戦は後世の歴史派マニアにとってまことに興味深いです。


○ トライデントとボーイング727の売り込みについて   全日空の元整備さんからメール

 全日空がB727 N68650をリースで飛ばす前に、B727とトライデントが相次いでデモ飛行に羽田に飛来しました。全日空初のピュアー・ジェット機が、どちらかに決まるだろうと思って見ていました。

 スタイル面ではトライデントの方がなじむ感じでした。
 B727はノーズのラインが鋭角で垂直尾翼が高すぎるように見えました。
 しかし、ヴァイカウントの整備で手こずっていましたので、整備の立場からすればイギリス機はご免でしたね。

 トライデントは前脚を横に引っ込める、主脚は90度ひねって車軸が胴体と平行になるように引っ込めるなど凝った設計でした。そういうことでスペースを作り出すということはかなり余裕のない飛行機です。主脚の車輪も4個同一車軸に並ぶ配置で、内側車輪をはずすには外側車輪をはずさないと作業できないという面倒な構造です。

 B727の選択は良かったと言えるでしょう。

 

日替わりメモ20100306番

本日のページ更新

OM3-10 思い出コーナー Cornes & CO.,LTDの販促写真
1 デハビランド コメットの売り込み 
 2 デハビランド  トライデントの売り込み

○ 続 Cornes & CO.,LTDの販促写真

  昨日に引き続き、死蔵するには惜しい3発ジェット旅客機トライデントの販促写真を発表しました。これもコメットと同じようにデハビランド技術陣が世界に先駆けて3発エンジンや盲目着陸装置などを開発した野心作なのですが、その分設計に時間がかかりすぎて、まもなく3発形式に着目したボーイングが名機727を売る出したために、イギリスではBEAのみ、世界では中国など少数しか採用されませんでした。

 トライデントは、初めはデハビランド名で発表されましたが、同社は既にホーカ―シドレー社に吸収されており、日本代理店のCornes & CO.,LTDは、ホーカ―シドレー 121 トライデントとして売り込んでいます。そのあたりの歴史的証拠も雑誌の広告など出しておきました。

 日本では、もちろんJALもANAも727を採用したので、中国民航機が東京国際空港で見られたくらいのようです。余分なことですが中国共産党の林彪がソ連へ逃亡を図って撃墜されたのがトライデントでした。


○ 続 ワレ ハヤマテリ

 早速、航空ファン4月号108ページSLAP SHOT月例フォトコンテスト選評のコピーを送って頂きました。「また、最終選考に残った方々は、佐伯邦昭、〜」と5人の名前が発表されています。あと4人の皆さん、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲を見ておられますなら、この誌上で残念展覧会を開きませんか。なお、コピーのお手を煩わせた皆さんにお礼を申し上げます。

 

日替わりメモ20100305番

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OM3-10
「表紙絵74] コメットの販促写真
思い出コーナー デハビランド コメットの売り込み Cornes & CO.,LTDの販促写真

○ コメットの販促写真

 羽田に飛来するBOACのコメットをみて惚れ込んだ日本航空が、抱き合わせのデハビランド ヘロン3機と共に購入契約を締結した途端にコメットの墜落が相次ぎ、結局は抱き合わせ分だけを買わされて終わったという喜劇がありました。デハビランドは空中分解(金属疲労)の原因を突き止めて改良し、エンジンもパワーアップしたU型W型の売り込みをはかりましたが、日航はダグラスDC-8というはるかに性能のいい機体に切り替えてしまい、日本におけるコメットは実現しませんでした。

 いつごろか忘れましたが、私が銀座の酣燈社を訪ねた時に、関川編集長がCornes & CO.,LTDが配っていたコメットとトライデントなどの写真を手土産にしてくれました。すでに、情報としての価値を失い、しかもスタンプインクが画面を汚しているようなものだったからかもしれませんが、広島のマニアが公表する考えも手段もないだろうと油断されたのでしょうね。

 特に念押しもなかったように記憶しますが、長い間大切に保管してきたものを死蔵するに忍びなく、思い出コーナーとして公表しました。あの世で関川さんが苦笑いをしているでしょう。
 裏面のタイプやスタンプからも多くの情報が読み取れると思いますので、じっくりとご覧ください。


○ ワレ ハヤマテリ

 apeさんから次のメールが来ました。

 時に、航空ファン4月号を見ますと貴方の作品が最終選考作品として紹介されています。どのような作品か存知あげませんが、よかったですね〜 以下は日替わりメモの引用です。

日替わりメモ20100124番
 表紙絵 金賞 「紫電改と二人」 (航空ファン月例写真コンテスト3月号落選作品)
 お笑いの一席
 ニュースフラッシュの「イルミネーションロード くれ の紫電改」にも出さないで、入賞間違いなしと自信をもって四つ切にプリントして送りだしたコンテスト応募作品が、航空ファン3月号を見ますと入賞どころか最終選考作品にも残っておらず、無念残念。
 きらめく星空をバックにしたようなイルミネーションの紫電改の前で、若い男女が何を話し合っているのか、大変にイマジネーションを働かせてくれるショットなのに、選外とは? 
 実物のヒコーキでないとだめなのかねえ?   銀賞以下入賞作品は、いずれも凝った撮影ではあるものの、多くの人が狙ってきた古典的なテーマばかりで、マンネリを感じてしまいますのに。
 よってパロディとしてインターネット航空雑誌ヒコーキ雲の金賞とする次第であります。

 取り急ぎご連絡まで

 へー、そうでしたか。apeさん日替わりメモまで添えてのお知らせをありがとうございました。

 この2日に確定申告会場へ行ったついでに紀伊国屋書店をのぞいたら航空ファン4月号は売れ切れたということで、見ていませんでした。3月号ではでなく4月号の選考だったのですね。1月24日にお笑いの一席書いたのは『ワレ ハヤマテリでした。
 つまらんことを書いたために気分を壊した撰者が、金銀銅から落として最終選考作品に名前を残しただけなのかもしれません、そうでしょう、三井さん。 いえ、冗談ですから返事はいりませんよ。

 もう一度、ここに掲げて金銀銅に値するかどうか、皆さんの判断を仰ぎましょう。「そうだ」という声が多ければ悔しさが消えます。なお、4月号をお持ちの方、私の名前が出ている部分をコピーして送ってくださるとうれしいです。


航空ファン月例航空写真コンテスト応募事項
タイトル 紫電改と二人
撮影 2009年12月25日 午後7時18分 小雨
 
場所 広島県呉市蔵本通 イルミネーションくれ
会場
カメラ **** レンズ **** フィルター ****
撮影 AEモード (ノーマル フラッシュなし)

 呉市のイルミネーションくれ(1月3日で終了)に展示された光の紫電改を寄り添って見ている2人が何を話しているのか、その違和感が面白くて、思わずシャッターを切りました。なお、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲にイルミネーションくれの紫電改を出していますが、この場面だけは、投稿のためにとっておきました。よって初めての公開です。

 

 

日替わりメモ20100304番

本日のページ更新

   

○  この日章旗に心当たりはありませんか
   R106へ転記  

○ 雑誌編集の話し

 外山さん、かつおさん、宮津さんをはじめ多くの方から貴重な航空書籍を無償で送って頂いております。狭い我が家の書架に入りきらない図書を前にして、何とか有効活用したいと考えています。
 同好の皆さんに貸し出して、参考にして頂くのもいいし、遺言で国立国会図書館へ全書寄付というのもいいななど‥。

 貸出の具体策は後日発表することとして、とりあえずは手持書籍のリストづくりを開始しました。

 ところがこれが厄介なもので、図書館並の分類に一苦労、1冊ずつパソコンにデータを書き込むのも大変な作業になりました。中味を読んでいてははかどりませんので、表紙と目次と奥付を調べるだけです。しかし、やっていると、面白いことにたびたび出くわします。世界の傑作機を例にとってエピソード的にひとつふたつ紹介してみましょう。

 文林堂の世界の傑作機は、最初の表紙が馬糞紙のようなグレイの厚紙で、写真もモノクロのみの第一世代、表紙がカラーになって横型にした第二世代、再び縦型に戻した第三世代、黒っぽい表紙の現在の第四世代と分類することができます。 

・ 第四世代になりますと、新しい写真が発掘されて古い写真が載らなくなっていますので、その分第一世代などには凄いなあと感心する写真がたくさんあります。特に大戦機マニアは必見です。

・ 第一、第二世代には、黒江保彦、土井武夫、内藤子生、佐貫亦男さんなど大戦機の実経験者やロバート ミケシュさんなどの寄稿があります。他の執筆者や作図者の名前も懐かしい人や、まだ現役で執筆してい人の名もあります。暇があったら、作風や解釈の変化を調べてみるのも面白いでしょう。

・ 世傑は、同じ機体を繰り返し取り上げるのが特徴です。そのことからリストづくりでさんざん迷わされた例をひとつ挙げておきます。

第二世代から第三世代へ

第三世代のクローズアップと同書の奥付

 見難いですが、REISENの文字の上の日本語は「昭和57年7月10日発行」とあります。奥付でも「昭和57年7月10日発行」です。

 そうすると右上の「1974 OCTOBER」というのは一体なんでしょうか。昭和57年は西暦1982年ですから8年間の開きがあります。また世界の傑作機の右にある10という数字は何を意味するのでしょうか。さんざん迷った末に、8年前つまり第二世代の1974(昭和49)年10月発行の「世界の傑作機 54」を取りだしてみて、やっと解決しました。

 第二世代54と第三世代54の内容は、後者が新しいカラ―写真を追加し、イラストが橋本喜久雄さんから長谷川一郎さんに替った以外は、記事は全く同じで、改訂版というよりは復刻版に近いものでした。

 だから、8年前に敬意を表して 「1974 OCTOBER」10を入れたのだろうと察しがつきました。ちなみに1974年版54の編集者は岩田尚さん発行は戸田万之助さん、1982年版54は上記のとおりで、会社も神田神保町から新宿歌舞伎町へ替っています。歌舞伎町の編集室でどういう協議が行われたのか知る由もありませんが、後世の収集家にとっては甚だ迷惑な表紙をデザインされたものです。

 第一世代でも、売れ行きがよかったためか再発行版をだしていますが、それが「増補改訂版」といったり「新版」といったりで、これまた収集家を悩ませます。

 このような点は、当初のしっかりしたグランドデザインも無く始めたインターネット航空雑誌ヒコーキ雲のいきあたりばったり編集に似ているというと、故人が怒りだすでしょうか。失礼しました。

 なお、思い出コーナー先代の『航空ファン』と戸田万之助さん を参照してください。                             

 

日替わりメモ20100303番

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○  岐阜基地のT-34Aが再塗装か

 航空自衛隊岐阜基地A4401で、常設展示のビーチクラフトT-34A 61-0406に囲いが設けられたそうで、再塗装に入る模様です。この展示機体は、所属したことにない飛行実験団マーク(最終は第12飛行教育団)であるのと、ノーズナンバーの406が異様に太い書体に見えるので、このあたりが正しく考証され直されるとうれしいですね。

 なお、去年の9〜10月に再塗装されたロッキードF-104Jの岐阜基地第三世代にあたる36-8540は、近くで見ると、キャノピー後部が機体色に塗られてしまい、ステンシルのCAUTIONがCOUTIONになっているそうです。ついでに正してもらえませんかね。岐阜の五十鈴さん、情報をありがとうございました。


○ 外国から特別展示記事 或る戦闘機の戦後史 飛燕にリンク

 特別展示記事 或る戦闘機の戦後史飛燕RS-0へ転記


○ (リンクに関連して) 飛行機の世界にようこそ のホームページが閉鎖されました。レジスターにこだわった古い写真と東海を中心とする新しい情報に定評があっただけに残念です。ご事情がおありとは思いますが、飛行場などへ行かれましたら引き続き当方へ写真を送ってくださるようお願いします。

お詫び 日替わりメモ20100302番を誤って削除

日替わりメモ20100301番

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A8809 航空史探検博物館 沖縄県糸満市 金城よろず屋のF-104J 1機売却

○  金城よろず屋のF-104J

 かまぼこ型倉庫の横に鉄骨の櫓を組んで上下2機のロッキードF-104Jがありましたが、下の機体が売れたそうで(売却先は不明)、上の機体が地面に降ろされています。何故か米軍のマークとナンバーを書き入れていますが、れっきとした三菱製の航空自衛隊機です。そのことが、金城よろず屋 さんからの丁寧なメールで明らかになりました。良い買い手がついて、どこかで復元される姿を見たいものです。

 そのほかにも、T-33Aの増加タンクなど販売品がたくさんあるようですから、興味のある方は一度 訪ねてみてください。


○ 続々々 日本の国旗について    

 昨日の「米軍の基地祭で星条旗よ永遠なりが流れると、米兵はどこにいても国旗の方角に向って敬礼をします」との意見に証拠写真が寄せられました。

 撮影2009/10/18 16:30 三沢基地にて MAVERIC
 
一目瞭然ですね。この場合航空自衛隊三沢基地の隊員は、外国の国歌には知らん顔でよいという規則になっているのでしょうか。交通整理も大切ですが、数分間、車を止めさせてでも直立姿勢くらいはとってほしいものです。現職の意見をお聞かせください。

 次に20100227番に掲げた大阪ボーイスカウトクラブが1948年に発行したボーイスカウト ポケットブックの中の一節に関連して、40年後に日本ボーイスカウト大阪連盟が発行したものと両方を対比してみます。様式だけでなく語句も微妙に変えているのが興味深いです。

  1948(昭和23)年発行                        1989(平成元)年発行 (提供 にばさん)
  

 いずれにしても、ボーイスカウトが学ぶだけでなく、公教育の中に是非とも取り入れて貰いたいです。世界広しといえども国旗を教えない国は日本だけでしょうから。

 

日替わりメモ20100228番

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A8803  航空史探検博物館 沖縄県名護市  ミリタリーショップ オードナンスの現状

○  ミリタリーショップ オードナンス

 名護市のミリタリーショップ オードナンス のロッキードT-33Aがインターネットで売り出されたので、そのホームページから店名を南国百貨店に変えたものと思っていましたら、ただサーバーを借りて販売しているだけだそうで、社長さんが、訪れたMAVERICさんにヒコーキ雲制作者に強く伝えてもらいたいと言われたそうです。

 http://nangoku100katen.com/products/1151/にはオードナンスの文字がどこにもないので、店名変更かと思っていました。まことに失礼しました。お詫びして訂正いたします。なお、現地のオードナンスは、新しい店舗に移っていますが、外と店内にあったT-33Aは動かされていないのでご注意ください。


○ 続々 日本の国旗について    

 中国航空協会会 古谷眞之助さんからメール

 私がメキシコに赴任する時、グライダー仲間がやはり国旗にいろいろと書き込んで持たせてくれました。それをあちらの住まいの部屋に掲げていたのですが、ある時、パーティに招待したメキシコ人がそれを見て顔を曇らせたことがあります。

 メキシコでは国旗に何か書き入れて掲揚でもしようものなら罰せられると聞きました。

 またメキシコのゴルフ場のクラブハウスでのこと。スコア談義に花が咲いていた時、たまたまレストランのテレビでボクシングか何かのスポーツ中継をやっており、メキシコ国歌が流れてきました。そしたら、それまでわいわいやっていたメキシコ人の連中が、グラスを置いて起立し、直立不動の姿勢を取りました。

 海外単身赴任をしたものは誰もが愛国的になると言われています。私もその例に漏れず、一時帰国時にはもう一枚国旗を手に入れて、きれいなままで部屋に飾っていましたし、日本人だけのパーティでは、その国旗を会場に持ち込んで、パーティの開始は、国歌斉唱から始めていました。
 ただ、情けないことに、国歌がまともに歌えない子供がほとんどでしたし、大人の中にも間違えるものがいました。

 我が家には今、国旗はありませんから祝日に掲揚することはありません。周囲の家を見ても掲揚している家はまずありません。会社では当然のごとく中央に国旗、そして社旗、安全旗を掲げていますが。

  国旗と国歌、難しい議論は脇において、オリンピックのメダル授与式で日の丸が掲揚されると誰もがじーんとくるはずで、あの素直な気持ちが大切だと思っています。

 

日本の没落  佐伯
 米軍の基地祭で星条旗よ永遠なりが流れると、米兵はどこにいても国旗の方角に向って敬礼をします。連られて私も威儀を正します。しかし、我が自衛隊基地では式典参加隊員以外はどこ吹く風の人が多いです。

 社会全体が「国」の姿について右往左往し、普段は国旗や国歌に見向きもしない連中が、オリンピック期間だけ愛国者になるような底の浅い社会構造が氾濫しているみたいです。

   白地に赤く 日の丸染めて ああ美しや 日本の旗は
   朝日の昇る 勢い見せて ああ勇ましや 日本の旗は

 私が、小学校入学すぐに教えられた歌です。ある意味でその後の人生のバックボーンたる栄養素のひとつになっています。外国では、初等教育においても家庭においても、国旗国歌に対するしつけ (その国の人間たる自覚の涵養)を行っていると聞きますから、今、日本で一番欠けているのが、そうした基本の教育ではないでしょうか。

 悲しいかな、すべての面で「日出ずる国」日本の没落が始まりました。日本人とは、日本の国とは、を教育の基礎から叩き直していかなければ、韓国や中国の国歌ばかり聞かされる状況は変わらないでしょう。

 (こういうと、すぐに国旗国歌のために国民が犠牲になった戦争への反省を問う声が出てきますが、私は左翼にも右翼にも組しません。どこの国にも共通するであろう普遍的な意見を述べているだけです。)

 なお、昨日のボーイスカウト ポケットブックの「正規の様式」で、日の丸の中心が風上の方へ1.4/100強だけ寄っているとありますが、現行法では、対角線の交点に中心を置くと定められています。しかし、特例も認められていますので、間違いではありません。

 

日替わりメモ20100227番

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○ 続 日本の国旗について

 昨日の日替わりメモには二つのポイントがあります。ひとつは出征兵士に贈られた日章旗の関係者を探したいこと、もうひとつはスポーツ応援で国旗に書込みをすることの無礼についてです。後者には、さっそく同意の意見も寄せられました。

 本欄で説教をすることになってしまい恐縮ですが、次のコピーを見てください。大阪ボーイスカウトクラブが1948年に発行したボーイスカウト ポケットブックの中の一節です。まだ旧漢字です。
                   (画像を20100301番へ転記)

 敗戦から3年占領下の真っただなかで、巻頭にGHQ大阪軍生部民間教育課長のメッセージも載せ、つまりは検閲を受けながら、堂々と我が国旗について述べています。 日教組と朝日新聞が徹底的に日の丸を排斥し、付和雷同する人民が多数を占めていた中ですから、余計にこの記述に驚きを覚えます。

 ボーイスカウトでは現在も受け継がれ、正しい掲揚の仕方などを教えているそうでが、さて、皆さん、これを学校教育の中で学んだことがありますか? 自衛隊の中では如何でしょうか? 自衛官は祝日に自宅に掲げていますか? (不肖佐伯は玄関に掲揚します)

 検閲したGHQの人達は、このページの記事から日本人に畏敬・尊敬の念を抱いたに違いないと思います。だから削除を命じなかったのでしょう。(GHQが1949年まで日の丸を禁止していたにも拘わらず)

 それを活かす教育は、日本人の手で封じられてしまっています。

 白地に下手くそな文字を書き入れ、競技場に持ち込んで振っていれば、選手が郷土や日本の代表として奮い立つであろうし、国威発揚にもなると考えているのでしょうか。日の丸の鉢巻きを締めて選挙カーで手を振っている男や「気合いだ」と大声で我が子を応援しているみっともない男も同列です。国旗のことを何も教えて貰えないから、応援旗にしてしまっているのですね。

 もう一度言います。国の旗は、きちっと掲揚して、姿勢を正して敬礼をするものであります。

 

日替わりメモ20100226番

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HOME R106 「表紙絵73] この日章旗に心当たりはありませんか
調査研究コーナー 質問 この日章旗に心当たりはありませんか

○ 質問 この日章旗に心当たりはありませんか

 バンクーバーでこれ見よがしに掲げたり或いはぎこちなそうに振られたりしている日の丸国旗には、無数の寄せ書きやサインが見えます。これは、もちろん戦時中に出征兵士に贈られた日章旗の流れを汲むものです。

 そこで、今朝は、元祖武運長久の日章旗について、これを所持した軍人を探して貰うべく、調査研究コーナーに取り上げました。

 散る桜、送る桜も 散る桜 
 署名の9割は男性の名前です。書いたすぐ後に赤紙を貰い、同じように親類縁者、友人、職場の人々の熱い思いがこもった日章旗や千人針を腹に巻き死地に赴いていきました。その遺品が、戦勝国の博物館に展示されているのはやりきれない思いですが、これが戦争というものでしょう。

 遺族の元へ返せと声高に叫ぶつもりはありませんが、せめて、寄せ書きをした人の誰か1人でも生存していて、出征の様子などを子孫に語ってあげられないものかと思い、関係者を尋ねています。

 寄せ書き日章旗の悲しいルーツを知っているだけに、オリンピックで、似たようなものを振っている御仁にはどうも好感がもてません。国の旗は、きちっと掲揚して、姿勢を正して敬礼をするものでありますから。

 

 

 

 

日替わりメモ20100218番

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○ 「航空100周年記念・日野熊蔵の飛行機遺産に学ぶ」行事について

テーマ:“熊蔵ウイング・メモリアルフライト100 Come fly with KUMAZO 100th memorial flight
日時:平成22年3月22日(月曜・振替休日)午前10時〜午後6時
    

会場:山江村 時代(とき)の駅むらやくば(旧山江村役場庁舎)
  
  熊本県球磨郡山江村大字山田甲1415 0966-35-7000
入場料:無料  交流会:有料(午後4時〜6時 会費2000円)
   =参加申込み不要・先着順、交流会希望者は当日会費徴収=

ねらい:翼や空をイメージする楽しいジャズ演奏を交えながら、日野熊蔵が日本初飛行で乗ったグラーデ号と日野式飛行機、日野の作曲した『飛行機唱歌』の紹介や彼の発明品他についてのリレートーク。日野の飛行機模型と写真パネルなど、これらを地域の宝(文化財)である会場と共に日野ウイング100年のフリートークとサウンドを楽しむ午後のひととき

日程:10:00〜:00 会場見学・日野飛行機資料展示 
    1:101:30 第1回演奏 曲目「翼を下さい」他
    1:30〜3:00 リレートーク 渋谷敦 早川博康  松本晉一 
    3:00〜3:20 第2回演奏・合唱会 曲目「飛行機唱歌」他
    3:304:00 フリートーク「日野が乗った飛行機たち」
    4:00
6:00 交流会(有料2000円) 第3回演奏会 展示紹介

リレートーク:「日野熊蔵・日本初飛行」渋谷敦(伝記作家)
        「初飛行グラーデ号とは」早川博康(古典機研究家)
        「熊蔵の飛行機たち」松本晉一(産業考古学会)

演奏:ピアノ(園田智子) ボーカル(園田雄也) 
        曲目(予定):「翼を下さい」「飛行機唱歌(日野作詩)」空の
Jazz

展示資料:グラーデ号設計図及び飛行機模型 当時の航空機資料
        日野熊蔵関連資料及び写真 当時の雑誌・新聞資料 記念絵葉書他

交通:九州自動車道人吉インターから車で5分、肥薩線人吉駅から車で10分、駐車場:山江中央グラウンド他 人吉駅から山江村会場までボンネットバス送迎有(人吉駅発:1230分、むらやくば発:540分) 

お断り:会場は旧役場の建物で手狭です、来場者多数の場合は立見になります

主催:熊本産業遺産研究会 文化庁 熊本県 熊本県地域文化芸術振興プラン実行委員会 
    文化財のしらべ実行委員会 
協賛:産業考古学会航空分科会 山江村
事務局:熊本産業遺産研究会
 連絡先:
868-8502熊本県球磨郡山江村山田甲1356-1 九州山江村役場 産業情報課


・ 熊本産業遺産研究会 松本晉一さんの添え書き

インターネット航空雑誌ヒコーキ雲で映画「カサブランカ」のラストシーンに登場する飛行機が話題なったとのことなどを日本航空協会からお聞きして連絡します。

 
内容は上記のとおりで、日野熊蔵の初飛行とグラーデ号、日野式飛行機についてのリレートークに、「日野熊蔵の飛行機唱歌」をはじめ、空や翼などの飛行機にちなんだジャズ音楽をフィーチャーした内容ですので、楽しい音楽を交えた、ご家族や親子の皆さんにも楽しめる会として企画してみました。
 また、初飛行のグラーデ号の他にも、所沢飛行場で日野が飛んだライト号やアンリファルマン号、ブレリオ号の紹介、そして当時の記念絵葉書、グラーデ号模型や設計図、日野式飛行機の模型やその解説写真とパネル展示等、当時の航空関連資料の紹介も行います。

 そして夕方4時からは地元の食材に美味しいお酒を加えて、交流会とジャズ音楽、そして会場の時の駅(旧山江村役場)の雰囲気をボンネットバス「マロン号」と共に味わっていただけばと考えています。

少々、急な開催決定で恐縮ですが、どうぞ、春を求めて当地へお出かけ下さい。人吉駅から車で10分、九州自動車道人吉インターから車で5分の所です。人吉駅から現地まで、マロン号の送迎も計画しております。どうぞ、お待ちしております。

平成22216                   熊本産業遺産研究会  松本 晉一 
                                 〒868-0004熊本県人吉市九日町115

                                 Tel 0966-22-2928
 Fax 0966-25-1360
                                 Email
smatsu@fsinet.or.jp (@を小文字に)

佐伯から : 日本の航空100年にあたり、楽しみながら郷土出身の名士を讃え、併せて航空思想の普及を図ろうという企画は素晴らしいことで、関係者の皆さんのご尽力に敬意を表します。また当方へ紹介頂いた日本航空協会にお礼を申し上げます。
 出演者の1人である
渋谷敦さんの著書「日野熊蔵伝 日本初のパイロット」を、図書室T30で取り上げています。一つの見方としてパネルにでもして頂ければうれしいです。

 当日のご盛会を祈り、その概要をインターネット航空雑誌ヒコーキ雲の方へ投稿して頂くようお願いします。

 


        インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の主張

日替わりメモ091231番

○ 2009年の回顧
  評価は他人がしてくれるものだということを百も承知のうえで、敢えて申し上げますが、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲が立てている各項目に関する限りにおいて、他の追従を許さないほど充実したものとなりました。既にホームページの試行錯誤の域を脱して、インターネット航空雑誌としての独自のスタイルが確立し、それを多くの皆さんから認知されているものと信じています。

また、しゃべり始めたなと腹を立てないで、以下、掃除の手を休めた時にでも読んでくださいな。

雑誌なら編集後記、単行本なら序文やあとがきを読むと大よその傾向が掴めるように、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲も日替わりメモが日々更新の「イントロダクション」であると同時に「私の主張」でもあります。そこで、今年1年間の日替わりメモを読み返してみました。

休んだのはわずかに24日、稼働率は93.4%、我ながら驚くべき精勤でした。

@ 書き手と読み手の喜怒哀楽のからみ合い
 これほど続いてくると、日替わりメモを書きながら、お顔も知らないのに、読み手の反応がほぼ予測できるようになります。うなずく人、驚く人、あわてる人、立腹する人、あざ笑う人‥‥。

実は、佐伯の辛口評論を秘かに期待しているという人が少なからずおられます。逆に、辛口が過ぎるとヒコーキ雲ファンを逃がしてしまうから程々にという忠告もあり、実際に逃げて行った人もおりますし、今年は、他のサイトで手ひどい批判を書かれたこともありました。書き手の喜怒哀楽と読み手の喜怒哀楽がからみ合っていることを実感します。

お腹立ちの人を量産するのは得策にあらずで、例えば、本年半ばから政治向きの発言を控えたりしています。身の程も弁えずにとの冷笑を招かない程度に節度をもたなければいけませんね。
 しかし、
一納税者として、行政の問題点には是々非々を貫ぬきます。見て見ぬ振りをするのが大人であるというような誤った考えに迎合する気は毛頭ありません。

A 稼働率93.4の原動力
 さて、稼働率93.4%の原動力を考えてみました。
 1番に、全国各地の皆さんから「日々の更新ご苦労様です」との言葉を添えて、絶間なく情報が寄せられる、それを早く発表したいという心理が働くこと
 2番に、若い頃からのジャーナリスト志向が、死ぬまで治まりそうにないこと
 3番に、朝早く起き出してパソコンに向かうことが、生活として定着していること

1番と2番はつながりますが、何といっても2番が最大の原動力です。若い時に新聞社も放送局も二次試験で落ちて公務員にならざるを得なかったトラウマを引きずっているのかもしれません。その心理不安定症候群がこのホームページで治癒される訳ではありませんが、どんな場面でもジャーナリスチックなセンスを駆り立てられてしまいます。
 
本年1月1日の日替わりメモで、容量が300MGに達したら廃刊にするかもしれないと予告しました。しかるに今日現在350MGを超えてしまいました。経済的負担は苦しいですが、やっぱり、ジャーナリスト志向の誘惑には負けてしまうのですねえ。

ジャーナリストのセンスとは、旺盛な野次馬根性と抜け駆けの精神です。他人と同じことをやっていては読者に相手にされません。良質の情報を如何にうまく見つけ出すか、関連情報と併せて如何にうまく整理するか、如何に早く発表するかの勝負です。当然、間違いも起きますから素直に訂正するのも大切な心掛けです。
 ヒコーキの専門知識は皆さんにご教授願っていますが、編集者としては「
試行錯誤の域を脱して、独自のスタイルを確立できた」という所以であります。

B これからどうするか
 
さて、これからどうするかですが、老朽化したパソコンやスキャナなどを買い替えるメド(家内の許し)はたちませんし、加齢による目の疲れに加えて、今年は右手人差し指の腱鞘炎に苦しみ、右肩のインナーマッスル(深層筋)が時折強烈な痛みを発するなど、いつパソコン禁止を宣言されてもおかしくない状況にあります。

 旺盛な野次馬根性と抜け駆けの精神がこれらの外(害?)的要因に打ち勝つかどうかの勝負です。その分かれ目は、読み手の喜怒哀楽が私の予測に合っているか確認できるかどうかです。
 叱責であろうとなんであろうと一言でもメールがあると元気が違ってきます。いちいち返事が出来ないのがつらいのですが、どうぞよろしくお願いします。

では、お健やかにお正月をお迎えください。                          佐伯邦昭

日替わりメモ090613

私事 : 最近、あとで読み返してみると誤表記が目立つようになりました。また、皆さまからのメールの文章をしっかり読んでいないことによるミスも多発し大変申し訳ないと思っております。文章は、私の生命の一部なので実に情けない次第です。身内の入院等で疲れ気味のためかもしれませんが、精一杯努力してみますのでどうかご容認くださいますようお願いします。

 

○ 呉市海事歴史科学館大和ミュージアムに関する疑義が完了しました。お暇な時にじっくり読んでいただいて感想をお聞かせください。

第1章 零式艦上戦闘機に関する疑義
第2章 呉市側から仕掛けてきた戦艦大和の歴史捏造問題に関する疑義
第3章 戦艦大和以外のもろもろ
第4章 呉市役所の体質など