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美幌航空公園
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日本の風景 飛行場空撮 女満別空港
論考  美幌と女満別にまたがる海軍美幌第一航空基地(現陸上自衛隊美幌駐屯地)と美幌第二航空基地(旧女満別空港)の関係について

:現地に展示中のもの ×:過去のもの :現状不明

A1010 北海道 HOKKAIDO 網走郡美幌町 美幌航空公園
          
 美幌航空公園  滑空場  63/21 650m 撮影2007/08/23  MAVERIC


03/21 650m

 美幌航空公園の展示機 撮影2007/08/23  MAVERIC 

バートルV-44A 50001 

50001の経歴

1959/04/04 c/n42-19 陸上自衛隊に引渡 
1971/09/17 航空学校霞ヶ浦校で用途廃止
  丘珠駐屯地に展示
  美幌航空公園に展示

           

 

 

 

 

 

 

 

以下 機体は撮影2006/08/13  TRON            説明板は撮影2007/08/23  MAVERIC


 

V-44Aは陸上自衛隊が2機購入 もう1機(50002)は所沢航空発祥記念館に展示

ベルUH-1B 41583

 

ロッキードT-33A 81-5387
ノースアメリカンT-6G 52-0076

 

ビーチクラフトT-34A 60505

 

A1023 北海道 HOKKAIDO 網走郡美幌町 陸上自衛隊美幌駐屯地
          
 陸上自衛隊美幌駐屯地史料館 北辰館 撮影2007/08/23  MAVERIC

 

夜間戦闘機月光の車輪
一式陸攻の車輪
旧軍航空機タイヤ 種別不明
 

 陸上自衛隊美幌駐屯地の展示機 撮影2006/08/13   TRON

川崎バートルKV-107U-4 51741
 

川崎バートルKV-107U-4 51701
ヒューズTH-55J 61322
川崎ヒューズOH-6J 31055
富士ベルUH-1B 41543
 

 

A1200 北海道 HOKKAIDO

  美幌と女満別にまたがる海軍美幌第一航空基地(現陸上自衛隊美幌駐屯地)と美幌第二航空基地(旧女満別空港)の関係について              
                                        2006/09/06 論考及び作図:OKUBO

 

 美幌第一が飛行場機能を亡くし、美幌第二が女満別空港になった理由

 旧海軍の美幌第一航空基地(美幌)と美幌第二航空基地(女満別)の2航空基地のうち、なぜ美幌第二が現在の女満別空港として生き残ったのかの疑問ですが、明確な答えはありません。強いて言えば「時の成り行き」が結論かと思います。
 これには話を終戦の頃に戻す事になりますが、ご承知の通り、当時の実情を記した物は皆無といってよく、今頼りに出来るのは、各自治体が作成した「市町村史」か「00叢書」くらいで、これも執筆に当たって、その時代にきちんと記録されていたものを、考証と合わせてまとめたものとは違い、30…40年も経過した時点で、人々の記憶の中から引き出した物が多いため、正確さに多少の疑問が残りますが止むを得ないものと思います。これ等を改めて読み直して見ると推定ではありますが、美幌第一と美幌第二のその後に明暗を分けるきっかけのようなものがありました。

海軍美幌第一・第二航空基地関係図

海軍美幌第一航空基地の概要(TRONさんの資料より引用)

種類 旧海軍拠点陸上飛行場
面積 400ha

滑走路 アスファルト舗装1500m×80m 
滑走路 アスファルト舗装1200m×80m 
格納庫  4棟
無蓋掩体(大) 35
有蓋掩体(大)  2
有蓋掩体(小)  8 2004年3月現在 1

海軍美幌第二航空基地の概要(TRONさんの資料より引用)

種類 旧海軍陸上飛行場
面積 45ha

滑走路 コンクリート舗装1500m×80m 完成
滑走路 コンクリート舗装1200m×80m 未完成で終戦
格納庫6棟
無蓋掩体(大) 18 
無蓋掩体(小) 14 
有蓋掩体(小) 17 2004年3月現在 2

滑走路が約30m間隔で分断破壊された美幌第一

 まず、美幌第一(美幌)ですが、ここは、旧海軍が美幌第一、美幌第二及び建設中の美幌第三(小清水)の3航空基地を統括する主力基地であったことで、終戦直後の米軍の対応も素早く、10月には300名が先遣隊として到着、翌1946年9月に引き揚げるまでの間に、一時は約1,000名にも及ぶ大部隊が進駐して、軍事施設の破壊・軍需物資の摘発に専念したようです。勿論直接作業に当ったのは日本人ですが、その数も膨大で、町内では手配がつかず、広く網走管内一円から集めたと町史に書かれています。
 解体も徹底していたようで、滑走路は約30m間隔で分断、地下壕(修理工場等)や掩体壕等も爆破され、作業中には犠牲者も出たとあります。文面から察すると、恐らくこの時点で飛行場としての機能は失われたものと思います。
 司令部その他隊舎等は進駐米軍の使用で解体を免れましたが、1950年国立療養所に転用されるまでの間、何に使用されていたかは不明です。1950年警察予備隊が発足、美幌町では誘致に成功し旧美幌一基地に駐屯地を開設、以降保安隊、自衛隊と変遷し今日に至ります。旧基地は、女満別空港発着の定期便の窓から眺めても、滑走路の跡は見当たらず、旧基地の司令部などの建物は現在も陸上自衛隊の庁舎として使用されていますが、ほかは当時のエプロンと思われる場所にコンクリート舗装の一部が見えるのみです。

海軍美幌第一航空基地(現陸上自衛隊美幌駐屯地)の略図 


航空写真 1947年 陸上自衛隊美幌駐屯地北辰館蔵  MAVERIC

飛行場として復活した美幌第二

 一方の美幌第二(女満別)ですが、飛行場の解体は美幌第一に進駐の米兵が受け持ったようですが、担当者の感覚の違いか、滑走路の破壊にしても、数箇所を飛行機の離着陸が出来ない程度に破壊したと「女満別町史」は表現しています。もっとも、掩体壕はつい最近まで残っていた位で、破壊の程度は美幌第一に比べ小さかったのではと思います。これがその後の明暗を分けた鍵のようです。

 米軍が引き揚げ、飛行場周辺は入植地として払い下げられ、邪魔物として残った穴だらけの滑走路に再起のチャンスが訪れたのは、1950年の朝鮮戦争勃発で、この時、米軍の不時着陸飛行場として計根別第四飛行場とともに接収され、滑走路の修理も行はれて飛行場として蘇ることになります。
 1956年に一部が返還され、その後1959年には全面返遼となります。
 1956年の一部返還がきつかけで、北日本航空が、道東、特に阿寒方面の観光客を当て込んで、札幌(丘珠)から女満別に不定期で航空路線を開設、以降紆余曲折の後、民間航空の空港として飛躍発展を遂げることになります。また、重要なのは、幾ら「時の成り行き」で空港が発展したとはいえ、女満別町長を始めとする町民が、町管理の第3種空港として女満別空港を開設した心意気であったのではないかと思います。

海軍美幌第二航空基地の滑走路を活用した旧女満別空港


美幌第二航空基地及び新女満別空港の略図

 

 以上「美幌町史」1972年・「美幌町百年史」1989年・「女満別町史」1969年・「女満別少史」1992年によりました。

 

A1027 北海道 HOKKAIDO 網走郡大空町(旧女満別町) 女満別空港
                     
◎ 女満別空港のモニュメント 気象観測機三菱一○式艦上偵察機 撮影2003/08/23 出展:OKUBO

 全幅40センチほどの模型モニュメントです。解説板の裏面に「贈 元観測隊員 製作 堀 三郎」とあり、J-BDAGの記号は正しいものと思われます。

 なお、三菱一○式艦上偵察機は、一○式艦上戦闘機を複座にした偵察機で、一○式二号の2MRTとは、水冷エンジンの冷却機を前方蜂の巣型から、胴体下吊下げ式に変更した形で、2MRT3ではこれを少し下げて右写真のように主翼下面中央に配置しました。

 
 

日本の風景 飛行場空撮 女満別空港 滑走路2500m 

撮影2006/06/15

撮影2006/06/26


 

 

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