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千歳市 陸上自衛隊東千歳駐屯地
同 旧海軍千歳飛行場滑走路

:現地に展示中のもの ×:過去のもの :現状不明

A1013 北海道 HOKKAIDO  千歳市 陸上自衛隊 東千歳駐屯地 
陸上自衛隊東千歳駐屯地の展示機 

保存機の経歴

◎ T-6G 52-0078の経歴 

1955/08/19 c/n182-784 US51-15097 航空自衛隊に引渡
1965/05/01 用途廃止
  当所に展示

◎ T-34A 60501(41-0312)の経歴 

1954/10/28 c/nKD-2 富士重工業におけるノックダウン生産第2号機
       航空自衛隊に引渡 41-0312
1964/05/11 陸上自衛隊へ所管替え 60501 陸自1号機
1975/02/17 北部方面飛行隊で用途廃止
  当所に展示

× OH-6J 31111の経歴 

1948/01/23 c/n6415 陸上自衛隊に引渡
1996/11/28 第5飛行隊でで用途廃止
  当所に展示
2005ごろ 撤去

× OH-6J 31037の経歴 

1972/03/28 c/n6328 陸上自衛隊に引渡
1988/07/18 第5飛行隊で用途廃止
  当所に展示
2004ごろ 撤去

               

◎ ノースアメリカンT-6G 52-0078の経年変化

撮影2008/05/25


 

危険表示が付けられた 撮影2006/05/28  TRON

左翼が折れる 撮影2005/09/26  守屋憲治

 第7師団史料館の館長さんのお話では、左翼が胴体から1メートルほどのところで折れていて、支柱がないと先端が地面につくということです。05/10/02記 守屋憲治

撮影2003/05/25 出展:TRON
撮影1987/08/12 出展:ELINT人
◎ ビーチクラフトT-34A 60501の経年変化

撮影2008/05/25

撮影2006/05/28  TRON 
撮影2003/05/25 出展:TRON
撮影1980/05 出展:ELINT人

× 川崎ヒューズOH-6J 31111 
撮影2004/5/23  CJ

31111号機の右側の画像,マーキングから、帯広の元第5飛行隊の所属機だったことが分かります。
撮影2003/05/25 出展:TRON

× 川崎ヒューズOH-6J 31037
 撮影2003/05/25 出展:TRON

 

A1013 北海道 HOKKAIDO  千歳市 陸上自衛隊 東千歳駐屯地
        
東千歳駐屯地の滑走路について OKUBO (03/10/15)

 2003/08/23(土) ANK新千歳〜女満別 EL993便YS-11A JA8761から陸上自衛隊東千歳駐屯地を撮ってみました。新千歳が北風でプロペラ機という条件に恵まれましたが、もちろん私の思うようには飛んでくれないので、旧海軍滑走路はもやがかかったようになってしまいましたが、2本の滑走路や掩体壕跡を確認していただけますでしょうか。

 (注 文字などは佐伯が挿入。第2、第3飛行場の滑走路がよく見えないので白線で強調しました。)

 

 連山滑走路とも呼ばれたこの海軍の長大滑走路についての面白いエピソードがありますので、OKUBOさん提供の1961(昭和36)/04/04の北海道新聞を引用します。資材不足下で建設された2500メートル滑走路も、実は竹筋補強コンクリートだということで、DC-7Cがよくぞ無事に着離陸したものであります。

日航機 飛行場間違える 許可またず着陸

       米人機長が誤認? 連山滑走路に

 日航札幌線DC-7C型シティ・オブ・サンフランシスコ号(機長バックロー氏)は乗客72人を乗せ、3日午後2時羽田発、午後4時15分千歳上空に着いたが、千歳空港から約5キロ北東にある陸上自衛隊東千歳部隊内の通称連山滑走路に着陸した。

 同滑走路は旧海軍が昭和19年につくった爆撃機用の滑走路で、長さ2500b、幅80bで千歳空港とほぼ同一規格。滑走路上にはあちこち残雪が残っていたが、これをぬって飛行機は無事着陸、機体、人員ともに異状はなかった。

 日航では直ちにバスを同滑走路に回して客を札幌に運んだ。滑走路の除雪は千歳基地第2航空団の協力で4日朝から行うが、シティ・オブ・サンフランシスコ号は同日午前中には羽田に向かえる見込み。

 着陸時の天候は雲高約1000b雲量4割ほどで視界があまりよくなく、また機側で管制塔との連絡を中断したことなどから、滑走路を誤認したものらしいが、千歳空港と連山滑走路を間違ったのは民間機では初めて。

 札幌航空保安事務所では当日はレーダーによる誘導(GCA)でなく、管制塔から肉声で行ったが、機体が見えないので着陸許可は与えておらず、「許可を待たずに降りたのは遺憾」といっている。

 なお、この事故のため同日の上り最終便(千歳発午後7時50分510便)は東京からDC-4型を回送、定刻より3時間40分遅れで出発した。  (以下略) 


東千歳駐屯地の滑走路について S-Yoshi (03/10/16)

 陸上自衛隊7師団の演習場内の滑走路は現在車両の試験等にも使用されています。

 佐伯さんが注記している「東千歳駐屯地ヘリコプタ滑走路」は、防衛庁技術研究本部札幌試験場の車両(特に戦車等の装軌車両)の試験路です。直線で約1.8kmあります。
 技本が使用していないときは北海道道警が白バイ等の訓練場として使用しています。

 

千歳第二、第三飛行場滑走路について TRON (03/10/24)


連山滑走路の中央部から南側を見る 撮影02/05/26 TRON


 現陸上自衛隊東千歳駐屯地(旧海軍千歳第二、第三飛行場)の滑走路については、守屋憲治 著「北の翼 千歳航空史」に以下のような記述があります。

 ・第二飛行場滑走路(連山滑走路): コンクリート舗装
 ・第三飛行場滑走路: 火山灰にセメントを混合して散水、転圧した簡易舗装

 また、どちらも滑走路下に札幌近郊から切り出した基盤石を敷いているとのことです。

 なお、これは東千歳駐屯地の記念行事の際に何度も「連山滑走路」を見たことのある私の意見ですが、実際に見た感じからも北海道には自生しない孟宗竹の竹筋をわざわざ使用したという話は今一つ信じられません。

 (もし竹筋が残っていれば、現在の装軌車両の装甲でボロボロにひび割れてしまっているはずです。上の写真参照)

 また、これまでに私が収集した文献情報では、2つの滑走路の着工はどちらも1942年(昭和17年)で、1944年4月に第二飛行場滑走路が1200m×80mの状態で完成、1945年8月15日つまり敗戦の日に第二飛行場の滑走路延長(1200m→2500m)工事と第三飛行場滑走路の工事が完成しています。

 ただし、第三飛行場滑走路はそれ以前から使用開始となっていたらしく、敗戦時は第三飛行場側に「東海」対潜哨戒機13機が残されていたのは周知の事実です。

 また、同じく第三飛行場滑走路南端付近には空挺部隊訓練用の木製B-29実物大模型があったそうです。

 なお、「連山」の諸元では攻撃時過重で離陸滑走距離652m、着陸滑走距離550mとありますが、試作4号機のアメリカでのテスト飛行結果ではエンジンの不調もあって微風状態で約1800mの離陸距離を要したとなっています。

 また、同様の2500mの滑走路を千歳以外にも郡山など数ヶ所に建設する予定だったことから、訓練でも十二分に安全に離着陸できる長さの滑走路長にしたのではないでしょうか?


国土地理院所蔵の空中写真からつくった概念図
長い方が第二飛行場連山滑走路 画:佐伯邦昭





連山滑走路(海軍千歳第2飛行場)の現況 撮影2004/05/23陸上自衛隊東千歳駐屯地創隊記念日  OKUBO


  約60年ほとんど手入れなしで戦車等重車両の訓練に使用されているようですが、その割には痛んでいないようです。

 

必読日替わりメモ676番 2005/01/22  連山滑走路

                                                                                                                                                                                                                                                                                                 守屋 憲治さん(千歳市)からのお便り


 初めてお便りします。
 インターネット航空雑誌『ヒコーキ雲』は、真の航空フアンの閲覧に耐え得る数少ないサイトと感じ入って拝見しています。昨年の末に読者になったばかりのものですが、日々、更新なさっている佐伯さんのご苦労はいかばかりのものかと推察します。

 これまで、どなたのホームページにも意見要望を差し上げたことがなかったのですが、佐伯さんの『ヒコーキ雲』は私を大いに満足させるもので、少しでもお役に立てればと思いお便りした次第です。

 私は北海道内の飛行場史を研究の対象にしているものですが、航空機の発着しない飛行場はただ単に整地された矩形の広場でしかないので航空機についても興味が尽きません。佐伯さんのこれからのますますのご活躍をお祈り申しあげます。

○陸上自衛隊東千歳駐屯地 連山滑走路について

 TARONさんの記事中「つまり敗戦の日に第二飛行場の滑走路延長(1200b−2500b)工事‥・完成しています。」とありますが、
 17年秋に海軍戦闘機用標準滑走路として800b完成、
 19年8月に陸攻用標準滑走路よりも100b長い1300b滑走路として伸延
 20年6月に「連山」発着用にするため両端をそれぞれ600b伸延する工事に着手
 20年8月15日 玉音放送後も工事を継続、夕刻に2500b完成
と3段階で連山滑走路工事が完成しています。

  第3滑走路南端の木製B−29実物大模型は、サイパン殴り込み作戦演習のため大湊海軍施設部571設営隊が急造したものです。連山滑走路も同設営隊が担当しました。

 B−29が敗戦の二日後8月17日に初着陸したとき、完成直後の連山滑走路にはザアーと一面ひび割れが走ったとのことです。孟宗竹が筋として使われたという話は聞いたことがありません。(TARONさんと同じく、私も眉唾と考えます。)

 以上は『最後の海軍技術士官の記一浜名風』海軍技術浜名全編のほか、B−29の初着陸を実見された方々から聴取したものです。


○ OKUBOさんの空撮に佐伯さんが文字を挿入している写真

 YS-11の右翼端の画面中央から右下へ伸びている白い線は、海軍千歳第1から第3の3飛行場を一体的に使うための板敷誘導路跡です。厚い板を三つ又のかすがいで固定してありました。

 第1飛行場横滑走路東端から国鉄線を越え、連山滑走路南端を連絡していました。いずれかの飛行場が空襲等によって被害を受けた際に相互補完するためのものです。鉄道線との交差する部分が国鉄千歳空港駅(」R南千歳駅)になっています。


 画像にその記述を加入されると千歳航空基地全体の理解が容易になると思います。


佐伯から : 守屋さん、過分なお言葉を頂きありがとうございます。連山滑走路についての補足情報に感謝いたします。 連山滑走路に文字を入れておきました。

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