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八戸市 八戸公園子どもの国
陸上自衛隊八戸駐屯地 
海上自衛隊八戸航空基地
八戸飛行場の歴史 

:現地に展示中のもの ×:過去のもの :現状不明

A2113 青森県 Aomori Prefecture  八戸市 陸上自衛隊八戸駐屯地
    
◎ 陸上自衛隊八戸駐屯地の展示機

   ヒューズOH-6Dのテールブーム取替えの実例 調査研究コーナー73から転記

× セスナL-19E 11206 撮影1992/09/15  たいらあおば

11206の経歴 

1959/03/20 c/nFL-6 陸上自衛隊に引渡
  北部方面航空隊本部隊付
撮影1981/08/02 千歳基地航空祭 伊藤憲一
1984/08/20 用途廃止
  八戸駐屯地に展示 
2002頃 撤去

 本機は防衛館前に展示されていましたが、傷みが激しいため2002年頃に撤去されました。98年から2000年にかけて再塗装が行われ、その際に部隊標識が白から黄色に改められたと記憶しています。(2008/07/22記 たいらあおば)

 

◎ 川崎OH-6J 31178 撮影2007/01/05  たいらあおば

31178の経歴 

1986/03/05 c/n6780 陸上自衛隊に引渡
  航空学校宇都宮分校で用途廃止
テールブームを11201と交換
2005秋頃 八戸駐屯地に展示 

 八戸駐屯地の屋外展示機のうち、OH-6J(JG31087)が撤去され、現在同じ位置にOH-6D(JG31178)が展示されております。入替時期の詳細は不明ですが、2005年の夏から秋にかけてと思われます。 (2007/01/09記 たいらあおば)


 

テールブームの番号違い

調査研究コーナー73から転記

ヒューズOH-6Dのテールブーム取替えの実例   まとめ:佐伯邦昭 

問題の写真 同一展示機の右と左


 OH-6については、伊藤憲一さんが霞ヶ浦駐屯地広報センターのOH-6Jのテールブームに、下3桁の102又は106を消して038と書替えた形跡を見つけて以来の懸案でした。

 このたび、たいらあおば さんが2007/01/05に陸上自衛隊八戸駐屯地で撮影したヒューズOH-6D展示機で、左右のテールブームの番号が完全に異なる事実が現れ、しかも、左側のナンバーをつけたOH-6Dが明野駐屯地の現役であることがわかって、更に謎が深まりました。


2007/02/11

陸上自衛隊のヒューズOH-6Dテールブームの左右番号違いについて 伊藤憲一さんから     
         
 1月9日に更新された上
の保存機のOH−6Dを見て、ふと、感じたことがあります。長文になりますが、お許し下さい。 

 結論から言うと、陸自のOH−6Dは、もしかしたら現役機の時から、尾部安定板を含めた後部胴体を他の機体のものと取り替えて飛行している機体があるのではないかと思えることです。         
 
八戸駐屯地の新保存機のOH−6D(31178)は、テールブーム左側がJG−1201となっていますが、右側はJG−1178となっています。31201のテールブームを含めた後部胴体を、本体(前部胴体)の31178に付け替え、右側のJG−1201をJG−1178に書き換えたと読み取れますが、それは違うと思います。右側の下3桁の数字の位置は、テールブームが切り離されるだろうところより前側にあるため、178は本体そのものの数字と思うからです。

 
よって
@ 
31178の、テールブーム左側だけの数字をJG−1201に書き換えたか、 
A 
31201のテールブームを付け替えたか、のどちらかと思われます。         
         
 
私が2年程前、宮城県大和駐屯地で見て投稿したOH−6D 31136のテールブームの左側だけがJG-1186となっていたのを思い出しました。(右側は、写真投稿していませんがJG−1136となっていました。)         
 
このときは、左側だけをご愛嬌で3を8に書き換えていたと思っていました。しかし、今回の八戸の31178を見て、2機とも何故、左側テールブームの番号だけが変わっているのか? 偶然か? これらを見ると、ひょっとしたら、書き換えではなくて、実際に他の機体のテールブームを付け替えたものではないかと思えてきたのです。         
         
 
そして、また、2年前の31186や現在の31201は機番から見て、それぞれ、まだ現役機と思うのです。31186は微妙ですが、31201は、箱庭の回転翼という明野駐屯地のヘリを主題としたHPに2006年11月8日の午後、飛行中の写真がしっかりと記録されています。         

 
たいらあおばさんの情報では、31178は2005年夏〜秋ごろの展示と推定、となっています。
 すると、明野で31201が11月に記録された後1〜2ヶ月の間にテールブームだけが八戸へ運ばれて展示31178の後部に付け替えられたのでしょうか。あり得るようなあり得ないような話しです。      
         
 
これらのことから、ひょっとしたら、31186や31201は、現役時代に、何らかの理由で、後部を別の機体のものと取り替えて番号を本体のものに書き換え、飛んでいるのではないかと思えてきてならないのです。(かつてのF-86Fの、主翼を取り替えて番号が書き換えられたように。)         
         
 
それとも、ただの、異常な程のかんぐりすぎのみで、実際は、ただ単に、上記2機とも、テールブーム左側だけを書き換えただけなのでしょうか。         
 
 
私事で恐縮ですが、飛行機に特に関心も無い家内に、半ば、あきれかえられるのではないかと思いつつ、これに対するコメントを聞いてみたところ、案の定、「取り替えただけじゃないの?。そんなの、どうでもいい事じゃないの?」で終わりでした。        
 
しかし、、どうでもいい事にはまりこんでしまった一ひこーきファンからの一つのお話として、投稿させていただきました。  

後記 上述の箱庭の回転翼はすごいHPですね。質のいい写真と、機体ばかりでなくパイロット(教官、学生)にまで入り込んだ詳しいコメントで、明野の機体の全てが網羅されているよです。そして、コメントの記述から、パイロットをはじめ、運用者に対する細やかな心遣いが読み取れます。ここの主宰者の「たけちゃん」という方は女性ではないでしょうか。     


そこで、佐伯から箱庭の回転翼さんへ投稿して意見を求めたところ、JOKERさん、HUNTERさんのお二人から次のようなお答えがありました。

 ヒューズ369のテールブームには限界使用時間が決められて いて、規定の時間に達すると交換され る。
 八戸駐屯地の展示機の場合は、178号機が用廃となった時点で、178号機が付けていたテールブームの使用出来る残り時間が多かったため予備部品として取り外され、代わりに限界使用時間を迎えて取り外され廃品とされた201号機のテールブームを取り付けたのだと思 われる。

 そういうことで一挙に謎が解けました。

 試しに、OH-6Dの構造図を見ると、胴体とテールブームの結合部(2枚の輪)が文字の分かれ目になっていることが分ります。

 

 まず、右側は、結合部から後ろ(テールブーム)にJG-1、前(胴体)に続く下3桁○○○の数字を画いていています。
 また、左側は、結合部から前(胴体)にJG-、後ろ(テールブーム)に4桁1○○○の数字を画いていています。

 したがって、他機のテールブームを付け替えた場合、右側はJG-1○○○がそのまま残るので手を加える必要がありませんが、左側は、下3桁○○○の数字を書き替えないといけないわけです。

 霞ヶ浦駐屯地では、胴体に合わせて書替えていますが、八戸駐屯地と大和駐屯地はそのままにしているので、シリアルマニアの頭を悩ませたというわけです。

 さて、用廃の時に限界使用時間が余っているというので取り外し予備部品とされたテールブームは、どの機体へ取り付けられているのでしょうか。その場合はもちろん胴体ナンバーに合わせて左側が書替えられていると思いますが、中には、ひょっとすると??

     これからは、OH-6Dの接合部を右からも左からもじっくり観察する楽しみが増えました。

 

 

 

◎ ベルUH-1H 41662 撮影2003/04  和山寿志

41662の経歴 

1980 c/n1H-62 陸上自衛隊に引渡
  中部方面ヘリコプター隊で用途廃止
  八戸駐屯地に展示 

◎ ヒューズTH-55J 61336 撮影2003/04  和山寿志

61336の経歴 

1976/02/04 c/n850425 陸上自衛隊に引渡
1995/12/05 航空学校宇都宮分校で用途廃止
  八戸駐屯地に展示 

× 川崎OH-6J 31087 

31087の経歴 

1975/12/18 c/n6391 陸上自衛隊に引渡
1995/06/30 第6飛行隊で用途廃止
  八戸駐屯地に展示 2007/01/05撤去確認

 

A2114 青森県 Aomori Prefecture  八戸市 八戸飛行場の歴史
 

資料提供:和山寿志 まとめ:佐伯邦昭

 
 東北の基地では、三沢や松島がクローズアップされがちですが、八戸はそれよりも早く日本陸軍によって建設され、占領下には米陸軍が大拡張を行って、一時は3200人もの兵隊が駐留するという東北有数の基地でした。
 朝鮮戦争で米軍が転進した後は、日本に返還され、以後陸・海・空三自衛隊の駐屯地・基地として重要な役割を受け持ってきました。

八戸基地略史

1939 日本陸軍が八戸市高館に飛行場の建設を開始
八戸市民の勤労奉仕でつくられました。和山寿志志さんの母上も女学校の勤労奉仕に参加したそうです
1941 陸軍八戸飛行場完成 八戸少年飛行隊など設置
雪解けの4月5月は泥沼で飛行場が使いものにならなかったとか
1945 7月から8月にかけて米海軍機動部隊による空襲を受ける
基幹産業の日東化学(現三菱マテリアル)が壊滅、八戸港に停泊中の砲艦稲城が3時間にわたって応戦したげく沈没しました  
1945/09 米陸軍第8軍第9軍団が飛行場を接収しキャンプホーゲンとする
八戸は一大基地の街と化しました
1950/05 朝鮮戦争勃発により、米軍のほとんどが朝鮮へ転進
1950/09 警察予備隊八戸駐屯地設置 3個大隊駐留
1952/10 保安隊八戸駐屯地に改編
1956/03 陸上自衛隊第5普通科連隊が青森から移駐
1956/05 米軍撤退、基地を日本へ返還
1957/03 陸上自衛隊第9航空隊が霞目から移駐
1957/07 海上自衛隊八戸航空基地設置
1963/06 航空自衛隊臨時八戸派遣隊設置
一時はノースアメリカンF-86Fもおりました
1972/02 航空自衛隊八戸基地廃止
現在の
航空部隊
陸上自衛隊 東北方面航空隊 第2戦車ヘリコプター隊
第9師団 第9飛行隊
海上自衛隊第2航空群 第2航空隊、第4航空隊、八戸救難飛行隊

         

八戸基地の航空写真  左は1955年頃の撮影、右は1987年の撮影です。


 米軍によって拡張された日本陸軍時代の滑走路が残っています。赤いマークは基地正門(現陸上自衛隊正門)です。

                



                 

 海上自衛隊の滑走路を始め施設が整備されています。

                    

米軍が残した施設の活用

キャンプホーゲンの教会 今は八戸駐屯地の銃剣道場
米軍時代にはイラストのような十字架を頂いた尖塔がありました 右は鐘楼を下から見たものです
キャンプホーゲンの将校クラブ 今は八戸駐屯地の戦術講堂と防衛館(史料展示室)

 

グラマンF6F 12.7ミリ機銃の弾痕 旧格納庫鉄骨 撮影2004/04/25 


 

A2111 青森県 Aomori Prefecture  八戸市 海上自衛隊八戸航空基地  
    
◎ 海上自衛隊八戸航空基地のビーチクラフトTC-90 6803

6803の経歴 

1974/03 c/nLJ-599 N1847W 海上自衛隊に引渡
  第202航空隊で用途廃止
  八戸航空基地で構造修理実習機


撮影2003/09/06
  シシオ


 和山寿志

 撮影2007/09/01 出展:佐伯邦昭

 

 ◎ 広報資料館うみねこ館 撮影2007/09/01 出展:佐伯邦昭  2006/07/21新装オープン

鳥(シギ)が衝突したロッキードP-3Cのレドーム
J34-WE-36 ロッキードP2V-7用補助エンジン
P-3Cのタイヤ
 

× 川崎P-2J 4743 撮影1987/08/04  大石治生

 海上自衛隊八戸基地の正門近くの駐車場エリアです。当時、八戸基地はP-3Cへ機種変更されたばかりの時期で、この4743号機も退役直後と思われ、塗装や機体も良好な状態で展示されておりました。

4743の経歴 

1973/09/29 c/n7042 海上自衛隊に引渡
1986/05/22 第5航空隊で用途廃止
  八戸航空基地に展示
2003/09/14 スクラップが八戸市白山台2丁目に放置(下記A2112参照)

 

A2115 青森県 Aomori Prefecture  八戸市 八戸公園子どもの国  
    
 八戸公園子どもの国の展示機
                      
シコルスキーHSS-2B 8146 撮影2003/03/26 出展:和山寿志

8146の経歴 

1988 c/nM61165 海上自衛隊に引渡
  小松島航空隊で用途廃止
2001 八戸公園子どもの国に展示 



館山の第123航空隊時代には、テイルブームの「自」をはさむように青と黄の斜めラインがありました。(1999年文林堂 自衛隊機オールカタログ p111)



 


運搬前の状態 撮影2001 大湊基地から八戸航空基地へ飛来し、分解しました。出展:kanekory

                  
 

ビーチクラフトB-65 6724 撮影2003/03/26 出展:和山寿志

6724の経歴 

1969/05/16 c/nLC-324 N7756R 海上自衛隊に引渡
1995/06/30 大村航空隊で用途廃止
  八戸公園子どもの国に展示 

 

A2112 青森県 Aomori Prefecture  八戸市白山台2丁目 
    
 八戸市白山台2丁目に放置してあるP-2J 4743ほかのスクラップ 撮影2003/09/14 出展:和山寿志

 八戸市白山(はくさん)浄水場の近辺に2機分の機体が分解されておかれていす。

 八戸市民にとっても、大変お世話になったこの機体がこのように野ざらし状態で放置されているのは誠に残念です。当地は漁業の街でもあり、かつては北洋の流氷観測の情報等は、大いに漁業の水揚げに貢献し、また船舶遭難の捜索救助でお世話になった方もたくさんいたはずです。

 もっと、機動性のよいUS−1を誘致しようと、漁業関係や、市民から誘致運動があったのですが、巨大な機体を格納する格納庫の建設、最低予備機1機の予算が付かないと、立ち消えになりました。実際、機種は違うにせよ重い心臓病の方が一刻を争うとき、P-3Cで羽田まで運び命をとりとめたこともありました。

 そのようにお世話になった機体を市でも保存展示してもらいたかったのですが、やはり大きな機体ですから無理だったのでしょうか。 (2003/09記 和山)