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八王子市 日野オートプラザ
八王子インターチェンジ付近
日野市 首都大学東京 日野キャンパス(旧都立工科短期大学時代)
青梅市 青梅市郷土博物館 B-29のエンジン
柚木 當所無縁一切聖霊のお墓
西多摩郡檜原村 ペルトン碑

:現地に展示または保存中のもの ×:過去のもの :現状不明

A3650 東京都 Tokyo Metropolitan  青梅市 青梅市郷土博物館
             
 青梅市郷土博物館のB-29エンジン ライトR-3350  撮影2005/03/06  廣谷孝文

 展示といっても郷土博物館の入り口に説明板と共に置いてある状態です。館内は写真撮影禁止ですが屋外展示についてはOKです。屋外展示は休館日や開館時間に関係なく敷地に入れる(元々公園内の1施設ですから)のでいつでも見ることが可能です 。

 墜落死した米兵及び安楽死させた日本軍医の當所無縁一切聖霊のお墓は下記参照

 Wright Cyclon R-3350

  複列18気筒
  圧縮比 6.5
  離昇出力 2800hp
  重量1300kg

 


 

A3650 東京都 Tokyo Metropolitan  青梅市柚木二丁目の山林  
 
◎ 青梅市柚木二丁目の山林にある當所無縁一切聖霊の墓

 1945/04/02 三鷹市の中島航空機を空襲したB-29フイルシー フェイU号は地上砲火と日本軍戦闘機の攻撃を受けて吉野村柚木の山林に墜落しました。(上記郷土博物館説明参照)
 その際、疎開してきていた吉川英治氏が「死ねば敵味方なし」と村人に説いて遺体を収容し寺に葬りました。しかし、重症の1名も助からないと見た軍医により安楽死さされたため、戦後米軍の追求を受けた軍医は自殺し、落下傘降下で助かった1名も東京の空襲で死亡しました。

 この墓は、幼い時に墜落を目撃した野村哲也氏が1999年に建立しました。(當所無縁一切聖霊の「無縁一切」とは、助けられなかった人すべてという意味だと思います。佐伯)

● 文章は航空と文化第97号から要約 写真は(財)日本航空協会提供 図書室40参照

 

A3652 東京都 Tokyo Metropolitan  日野市 首都大学東京 日野キャンパス(旧東京都立工科短期大学時代) 
               
旧東京都立工科短期大学  

東京都立航空工業短期大学 → (1972)東京都立工科短期大学 → (1986)東京都立科学技術大学 → (2005)首都大学 東京 日野キャンパス

× ノースアメリカンF-86D-31 84-8109

84-8109の経歴 

1958/07/30 c/n173-146 (US51-6002) 航空自衛隊へ引渡 84-8109
  3W101Sq 2W103Sq
1968/10/01 用途廃止
不明 東京都立航空工業短期大学へ展示
不明 撤去

撮影1982/10  横川裕一

現役時代 1968/08/18 松島基地航空祭  戸田保紀 

 現役時代最後の写真です。機体に整備員が書いたと思われる惜別の辞が見られました。展示の後、千歳へ帰らず入間へ飛んで行ったかもしれません。(2007/07/03記 戸田保紀)

× 川崎KAT-1 JA3100 撮影1982/10  横川裕一

JA3100の経歴

1955/09/01 ロールアウト C/N2002 
1955/09/30 JA3100登録 運輸省 航空大学校
1962/10/26 抹消登録
不明 東京都立航空工業短期大学へ展示
1993 東京都から各務原市へ寄贈 現在に至る

 

A3610 東京都 Tokyo Metropolitan  八王子市 日野オートプラザ
             
◎八王子市 日野オートプラザの航研機模型と光3型エンジン  日野オートプラザ 解説:にがうり
        
航研機1/5モデル

 昭和13年5月13日から15日の3日間も飛び続けてFAI公認世界記録 (航続距離、速度)を作りました。機体製作:東京瓦斯電気工業(株)現日野自動車

        

川崎BMW液冷V−12エンジン

 
航研機搭載エンジンの原型です。航研機エンジンは低空用に過給器を外し、排気弁冷却用にルーツブロワーを特別装備しました.
光3型エンジン(説明板記載による)

 
説明板には「光3型」とある。展示エンジンはプロペラ減速ギアがなくクランク・シャフトとプロペラ・シャフトは直結されています。オリジナルが同じライトサイクロン9気筒系のハー8か?または「光3型」以前の型か?(下の写真参照)
光3型エンジン(説明板記載による)のクローズアップ
 
 
このエンジンも「川崎BMW液冷V12」エンジンも1996年早大理工学部からの借用品です。説明板の元資料は借用品についていたもの。両エンジンともきれいにカットされていますが前歴は不明。どこかの教材と思われます。
参考:鹿児島県知覧特攻平和会館の光3型エンジン
減速ギア(減速比0.6875)が見えます。
東京都八王子市日野自動車21世紀センター
日野オートプラザ(Tel:0426-37-6600)
 館内にはルノー1や97ダカールラリー優勝などの自動車、ジーゼルエンジンなどが展示してあります。
 





 
 なお、日野自動車の前身である東京瓦斯電気工業(株)は自動車・機関銃・船舶儀装などともに航空機と航空エンジンを手掛け、中小型旅客機を製作しています。航空関係はのちに日立製作所の航空機部門と合併して日立航空機鰍ニして独立しました。

 

A3620 東京都 Tokyo Metropolitan  八王子市 八王子インターチェンジ付近
                        
× 八王子インターチェンジ付近にあった展示機   撮影日不詳  FA300 青空のしたひるねより
カーチスC-46D 61-1127

修復のうえ現在は河口湖自動車博物館に展示         

ビーチクラフト18

              

 

A3629 東京都 Tokyo Metropolitan  西多摩郡檜原 (ひのはら)村神戸(かのと) 神戸会館
                      

◎ ペルトン碑 或る米軍人と日本人の交流の記念碑 撮影2002/3/14   阿部政男

 

 渓流釣りの好きな横田基地のペルトン空軍曹長は週末には東京都檜原村神戸(ひのはらむらかのと)の山荘に出かけました。

 やがて住民との交流が始まり、クリスマスのプレゼントから中学校野球チームへのユニホームと用具一式の寄付、基地への招待など4年間にわたる私費での友誼は、部落の人々に深く感謝の念を植え付けました。

 この写真は、横田基地と神戸部落の方々が、42年前に建てられた感謝の碑を2002/3/14に清掃し、ペルトン曹長の徳を偲んだ際のスナップです。



                      碑       文
 MR. AUSTIN PELTON, A U.S.AIR FORCE SERGEANT MAJOR WHO ONCE BELONGED YOKOTA BASE LOVED THIS VILLAGE OF KANOTO AND ITS PEOPLE VERY MUCH AND VISITED VERY OFTEN HERE WITH MR. MRS.PELTON FOR NEARLY FOUR YEARS FROM 1956 TO 1960. DURING THEIR STAY HERE THEY WERE GOOD FRIENDS NOT ONLY WITH THE GROWN-UP MEMBERS OF THE VILLEGE BUT ALSO WITH THE CHILDREN. THE FARMER WERE ALWAYS WARMLY WELCOMED AT THEIR HOUSE AND BEEN GIVEN NICE PRESENTS.      INDEED THEIR AFFECTION TCWARD US WAS PURE AND GENUINE, THEIR CHARITABLE DEEDS WERE NUMEROUS AND VARIED. WE THE VILLAGHKS OF KANOTO HERE ERECT THIS MONUMENT A TOKEN OF OUR DEEP GRATITUDE AND FRIENDSHIP, THUS INSCRIBING THEIR NAMES THAT WILL BE LONG BE REMEMBERED BY THE PEOPLE OF THIS VILLAGE.   
 
        MAY 1960

THE VILLAGE OF KANOTO
KANOTO WOMEN’S SOCIETY
KANOTO MWN’S SOCIETY


 米国駐留軍横田基地付空軍曹長ペルトン夫妻は昭和三十年より四年間神戸に親しみ憩の地とし部落の子供を常に我が子の如く愛し、部民を屡招き清愛を厚くしのみならず数々の慈善行為を重ねたり 其の美徳を感謝し、永くペルトン夫妻の名を留めたく、依ってこの碑を建立す

      昭和三十五年五月

   神戸部落 
   神戸婦人会
   神戸中年層